行きたい展覧会今のところ順調

行きたい展覧会今のところ順調。

まずクエイ兄弟in葉山。
9月にかわいい赤い小さなクルマを買った。なんつうか自分で選んだうれしさというか
遠慮せずに乗れる気軽さ、国産車の安心感等等、
車庫にあのこがいると思うとなんかうれしいものだ。
関東の高速道路は使ったことなかったのですげードキドキしながら頑張って
保土ヶ谷バイパスと横横線などを使って葉山の美術館に行った。

展覧会そのものもそうだし、自力で葉山に行ったことを含めて
生涯で大事な思い出の一つ。

10月にあざみので「悪い予感のかけらもないさ」展
黄金町バザールと美術と言うよりアートだな、若手の粗削りを見た後
横浜美術館の「BODY PLAY POLITICS」と
柳幸典をはしご。
やっぱりこのレベルになるとすごくいい。美しい。
現代美術のキモは「社会にある問題を言葉を使わず美しく観客に問う」事だと
何かで読んだが
まさにそういうポリティカルな事柄を美しく表現した
展覧会であった。特にBankARTでの柳幸典が素晴らしかった。
かつてなら「わかりやすすぎ」「いかにも」な課題が
じつはずっと問い続けなければならないもので
私がこれまで目をそらしてきたがために今こういう政治的に不愉快な毎日を
過ごさなければいけないのかとつきつけられるものだった。


さて、それはそれで今勤め先でしょうもないトラブルが
慢性的にある。
ルッキズムとエイジズムの合わせ技を持つミソジニー上司が
若い女性社員を大切にし、ベテラン(しかも上司になびかない)を
冷遇しているんである。
数年前私が入社した時は
性別役割分業はあったもののそういう空気はなかった。
が、私と同時期に入社した男が発言権や立場が大きくなるにつれて
パワハラやセクハラ、囲い込みが激しくなり雰囲気が
めちゃくちゃ悪くなったのだ。

「オッサン社員が若手女子社員と意味もなく無駄話をしているのがいらつく」
ということは40過ぎるとそう簡単に口に出せない。
なぜなら「BBAのひがみ」と返されるからだ。
こちらはそうではなくて
「今まで出張しようが旅行に行こうがお土産のひとつも買ってきたことのないケチ男が
もらいもののお菓子をためて女子社員(20代限定)にくばっているのが
みっともなくてあきれている」んである。
狭い部屋で皆が聞こえるクソみたいな
セクハラトーク(30代の女性が応募してきたがそれはストライクゾーンか、とか)をするのも
うんざりなんである。


ただ私の願いは静かに仕事してくれよ、ということなのだ。
なんで大きい声の内容がひどいやつだけが正しいようにふるまうのだトランプかオマエは
と思うんである。
そして、立場があがろうが役職がつこうが若い女子社員が入ろうが
変らない態度で接してくれる人もいるんである。
その人たちはただ淡々と日々の業務をこなしているだけなのだ。
そのあたりまえのことが輝いて見えるってことは
やっぱり会社がそうとう劣化しているのだ。

行きたい展覧会メモ

1.横浜美術館の「BODY/PLAY/POLITICS」。
アピチャッポンを始め、現代美術6人。10/1-12/14

これと梯子ができそうなのは「黄金町バザール」10/1-11/6

2.東京都写真美術館 アピチャッポンウィラーセタクン「亡霊たち」12/13-1/29
 これと梯子できそうなのがボルタンスキー@東京都庭園美術館 9/22-12/25
が、重なってるのが2週間もないな。。恵比寿−目黒はいい距離なんだけど。

ワタリウムのナムジュンパイクは10/15-1/29 こちらは長いな。

ボルタンスキーを先に見て パイクとチャッポンを梯子するもよし。

3.クエイ兄弟@神奈川近代美術館葉山 これは10/10まで。むずい。

取りつかれたように現代美術が見たい今日この頃。

横浜美術館は木曜日休館日。
庭園美術館は第二第四水曜日
あとは月曜日が休み

LVトリアーの映画

去年の夏、息子Kが首を寝違えた後元に戻らず痛がって大変だったが(2〜3日で治った)
今年のまったく同じ時期に右手の親指をぶつけて亜脱臼みたいなのになった。
見る医者によって見立てが違い、「大人なら手術だが、子どもなので何とも言えない、大学病院へ」
と言われて大学病院でも似たようなこと言われて「手術になったらどうしよう、手に障害が残ったら
あれもこれもできなくなる」と思ってたが
けがから1週間後の見立てで「動くようになったので保存療法で治ります」とのことで
毎日ちょっとずつリハビリさせて、今ほぼ治った。ほっ。


近所のビデオ屋に行くのがおっくうになって(棚が見づらい、ヨーロッパ映画が少ない)
ツタヤの宅配DVDを試しに頼んでみたら、私が注文するのはマイナー映画ばかりなので
(メジャー大作なら近所のビデオ屋にあるし)すぐ届く。
近所のビデオ屋には知り合いの奥さんが働いてるからR18のものが借りづらかったけど
そういうのも解禁。で、LVトリアーの「ニンフォマニアック」と「アンチクライスト」をようやく見ることができた。


制作順に「アンチクライスト」「メランコリア」「ニンフォマニアック」が鬱三部作とのことで
見た順番が違うのだけど、徐々に「遊び」の部分が入ってくる。
なので「アンチクライスト」が一番痛くて暗くてつらい。
本人がうつ病のセラピーを受けて想を得たというけど
全体的に「セラピストしね」みたいな感じになっていた。
アンチクライスト」はほぼホラー、美しすぎる壮大な夫婦喧嘩。
ニンフォマニアック」もなんかやな予感したけど、結局セラピストの役割の人が
本人の再生を促すのだがセラピスト自身がダメダメな本性が出てしまいでえげつない結末になる。
デフォー好きにはなんともたまらないもので、
デフォーのいろんなものが見れるのだけど、カメラがきれいすぎて肌のたるみまで
ばっちりなのがつらい。
デフォーは「最後の誘惑」でキリストを演じているが時々のカットがそれを思い出させて
美しかった。でもしわもばっちりだったけど

芸術と職業

4月から週に一度美大に教えに行っている夫と話した内容をまとめてみる。

私も芸術学部の写真学科というアート系に進んだのだが、
正直、入ってすぐぐらいで自分の順位が分かっちゃうのだ。
私はどうあがいても芸術写真家になんかなれねえ、と。
一学年140人前後の芸術写真家志望者のうち、10年後に写真集を出したのは一人。
(グループでガーリーフォト写真集出した人もいたが、今はもう名前も聞かない)
それでも前後の学年にはいなかったからすごいと思う。

夫は「芸術家になれるのは学年に一人いるかいないか。だからそうでない残りの生徒は
技術を学び技術者として就職するのがいいのだけれど、さいしょからそんな夢もキボーもないことは言っていいのかいけないのか」とつぶやいていた。

私は今振り返れば、うすうす気づいていたのならしっかり写真や芸術の知識や技術を学んでとにかくどこかにもぐりこめばよかったのだけれども、「私にはなにかがある」と思いこんでいたのと、努力不足とあってふらふらと劇団に行ったり(学内の劇団はつまらん、と外部の劇団にはいってますます学業はやらなくなる)映画の評論系の授業ばかりとって映画通ぶったりと
とにかく全体としてずーーーっと迷子ちゃんであった。

就職活動から逃げ、バイトしながら演劇やるとかいって8年くらい続けて結局やっぱりどうにもならんとあきらめたのが28歳のときか。今から振り返れば20代でやめといてよかったと思う。
今二人の子持ちパート主婦として中小企業の専門職で迷惑かけないレベルで稼げてるのだから
ちゃんと働いていればよかったのかなと思うこともあるが、
私のような迷子のバカちんは色々迷わないと気づくことはできなかったと思うので
これからはこうなったことを人のせい(親とかダンナとか)にしないように
謙虚に生きていきたいものだ。

六本木クロッシング感想

六本木クロッシングについてのメモ

去年ニッサンアートアワード受賞の毛利悠子が最初にあった。
「モレモレ」のトマソン的おかしみは薄れ、洗練されたつくりになってた。
もっとデュシャンに近くなったような。

片山真理:こういうの好きだし、こういうの作りたくなるのもわかるけど、このあとどのような表現に発展するのだろう。自分の体を問い続けるのか、他人の身体へと目が向くのか。注目。

百瀬文:人には二人のおばあちゃんがいる、ということに注目し、二人のおばあちゃんに同じ質問をし、文章にしてお互いが読む。映像ではどちらがどちらの声でしゃべっているのかがわからなくなる。面白かった。テーマも見せ方も。他の作品も見たい。解説をちゃんと見ないで見たから「おばあちゃん演技くさいな」と思ったら他人の文章をよんでるのだから当然そうなる。
その「演技」は片方のおばあちゃんが想定してるもう片方のおばあちゃんのしゃべり方なんだな。
娘の母親か、息子の母親かで孫への接し方の距離感は違ってくる。
母方祖母に父方祖母がすこし遠慮してるというか、そういう距離感がスリリングだった。

ミヤギフトシ:沖縄にいる米兵が初めてドラアグパーティをやった話等を映像にしていたもので全部見きれなかったが、
女装をした兵士がまだなんとなく恥ずかしそうにしている感じが生々しかった。女装もそんなに派手派手しいものではないところが切なくて。

高山明「バベル」:このひと目当てに行ったようなもの。2020年のオリンピックの工事現場にいる外国人に日本語と母国語で「母国にある伝説」を語ってもらい、本人がまっすぐ立っている映像と、音声がヘッドフォンから流れる作り。
ヘッドフォンの片方から日本語、片方から本人の母国語が流れる。ベトナム、ガーナ、イラン、トルコの4名分のモニターがある。

何日か前に新聞のエッセイで「バベル」について「近くにいる隣人(外国人労働者、移民)に目をそらすな」みたいなことが書いてあった。
でもまっすぐに立ってこちらを見つめる映像からつい目をそらそうとしたり、
聞きづらいからヘッドフォンを片方離して日本語だけを聞こうとしたりする自分がいる。
私のふるまいは隣人に対して全然寛容さがないと自覚させられた。
その裏面には東京オリンピックか東京タワーに関わった男性二人。一人はスーツ姿の会社役員みたいな偉い感じ、もう一人はホームレス。二人を並べるとどうしてもホームレス氏に憐憫の視線を、スーツ氏に義憤を(大げさに言えば)感じそうになるのをぐっと押さえて二人の話を聴いた。

こういうのを見ると普段私がどのようなまなざしを持っているか暴かれているような気になる。
ただ、ガーナからの労働者が語る物語に「オニャンコポン」という固有名詞が出てきてその言葉の響きに
笑いそうになった。あとでググったらオニャンコポンとは天空の神様のことらしい。
「年老いた奴隷女はオニャンコポンに近寄り」とかそういう物語。テキストがほしいと思った。

藤井光:帝国の教育制度:これは、なんともいろいろ考える時間がほしい作品。
韓国の学生(俳優?)を集めてのワークショップをやっている。参加者の半分にピンマイクをつけて、その人たちに
戦争の映像(多分日本軍が韓国人に暴力をふるっているところ)を見せて、見てない人に口頭で伝え、
再現させる。その間に、アメリカ軍が作った、戦時中日本の教育制度の映画を挟み込む。
最後の方は、韓国が植民地支配から解放されて行進するシーンで終わる。
いったいどういう人なんだろうと思ったら
「藤井光《爆撃の記録》2016「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展示風景」で話題の人だった。
新聞にものってた。

このような展覧会を見ると、私がいかにつまらないことに縛られた日常をびくびくしながら生きているのかということを
さらされてるようで、なんというかいっぱい栄養を吸収した気分。
みといてよかったし、やっぱ現代アートは子連れじゃない方がいいな。

わ、前回の更新から三か月近くたってたか。
娘も11歳になったわけだ。
今年の正月は娘に大人用の着物を着せてみたらなんとか着れた。
骨董市で柄が気に入って買ったものの派手すぎで着るのをちゅうちょしていた
黄色と赤の格子柄のお召。
そういえば黄色と赤の組み合わせはファッションではかなり上等テクらしい。
とても良く似合ってた。

最近小説がまた読めるようになった。
一時期斎藤学信田さよ子上野千鶴子小熊英二等の
本を読んでて、小説がちゃんちゃらおかしくて読めなかったのだ。
でも又吉くんがアメトーークの読書芸人で
西加奈子中村文則を薦めていて
そういう世代の人のなにかを読んでみたいと思い、
三浦しをん中村文則西加奈子と続けて読んでみて
「あら、わたしまだ小説読めるな」と思ったのだ。
よかった。小説おもしろい。
そしてしばらくご無沙汰していた笙野頼子を読んだら
むちゃくちゃおもしろかった。

最近はツイッタばっかり気にしてるけどやっぱじっくり本を読むのはおもしろいなあ。

横浜散策と美術展

誕生日、花もケーキもいらないから、美術展につきあってとお願いした。
天気はそこそこ、体調がダメダメだったけど中華街〜神奈川県民ホール鴻池朋子「根源的暴力」展〜BankART1929での
ニッサンアートアワードに行ってきた。
中華街は今は占いブームだった。
どの店に入っても「ここ前に来たことあったっけ。。」ていうデジャヴがある。
でもまあどの店もつくりは一緒だし、頼むもんもラーメン、チャーハン、チャーシュー饅、春巻と
似たようなものなのでしょうがないか。
息子も娘もよく食べるようになったなあ。。
今日の店は焼きそばがうまかった。

娘が今新聞小説を毎日読んでいて(あさのあつこ「きみがぼくを殺すまで」)
その挿絵を鴻池朋子が描いている。挿絵もわりと気に入っているみたいなので
「この人の展覧会見たくない?」といって誘う。
日産アワードの方は、六月に一緒に行って娘が大層気に入ってた石田尚志がファイナリストなので
これまた「石田尚志がまた見れるよー」と誘う。


「人間がものを作り生きていくということは自然に背く行為であり根源的な暴力です(略)
なぜ人はつくるのかというアートの根本的な問に観客と共に考え悩む展覧会」(フライヤーからの引用)
皮に絵を描いた作品と、粘土の作品が多かった。
なぜ、皮をはぎ、毛をむしっても作品をつくるのかという作家の答えが
今回の作品ということなら、それはやはり美しいものが見たい、作りたい、どうしても、何を犠牲にしても
ということなのでしょうか。
大量の動物の皮でできた作品からは皮の匂いがして、婚礼の着物の形をしたものも
多くどうしたって実用性なんかないのだけど
圧倒的に美しい。会場のあちこちにいたのは赤ずきんちゃんかと思ったら「ホイト」(物乞いと言う意味の方言らしい)
だそう。
今日見たばっかりでまだいろいろうまく言えないがこれはまたしばらく引きずりそうな内容であったよ。
ああ、あと一回くらいゆーーーっくり見たい。。


BankARTは以前ヨコトリの会場だったが、
今日は3Fでは国際交流女性現代美術展をやってて
ニッサンアワードは2F、1Fでは常設展だった。
いい感じの広さでショップには面白そうな本がいっぱいあって、カフェも素敵だったが
まあ暴れ馬の5歳児を連れてたから2Fしか見れなかった。残念。

7名のファイナリストのうち、石田尚志、久門剛史、毛利悠子が面白かった。
毛利悠子の「モレモレ東京」というフィールドワークはトマソンみたいで面白く、それを会場で再構築していた。
息子がしばらくじっと見て、あとでやってきた娘に
「ここがこーになって水がたまってこーなって落ちて、戻るんだよっ」と
拙い口調で説明してて可愛かった。
久門剛史は秒だけ刻む時計みたいなものをたくさん配置したものと、薄いカーテンと風で
「普段見過ごしがちな場所の歴史や文脈、そこに残る時間や気配などに意識を傾ける場をつくってい」(パンフから引用)るとのことですが
いっせいにチクタク大量に刻まれる時間とたまに聴こえる豪雨の音がとても無気味で
意識を傾けるというより肩をつかまれて揺さぶられる感じだった。

石田尚志はどういう感じかなんとなく予想できたけど、やっぱりダイナミックで美しくて繊細。
ずーーっと見ていたいと思う。

このアートアワードはオーディエンス賞があって、7人のうち一人を選んで投票できる。
上記3人でかなり迷ったけど、石田尚志にした。
娘は久門氏で、夫は石田氏にしだようだ。息子に投票権があればモレモレに入れただろうけど
ぐだぐだだったのであきらめた。

BankARTから関内方面に歩くと、おしゃれなカフェやレストランが集中しているところがある。
カフェで一休みしたけど息子は食べ終わるとすぐ動き出すから
親は全然ゆっくりできないが、これもあとちょっとと思うと
この場所をしっかり覚えてまたいつか来てだらだらすごしたいと思う。
子どものいないころはこういうところで話したり、本読んだり何時間もゆーーーっくりしたもんだ。
横浜に越してきてもう6年、関内や桜木町は地元ではないものの、東京に出るよりはハードル低いし、
何より人が密でないところがよい。海もあるし。
このへんを何度もたくさん歩いて、横浜通になりたいもんだと思った。
横浜、ええわー、としみじみ思う。
そういやウォーキングイベントとかよくやってるな。そのうち参加しよ。