ロシア語続いてます

そういえば、ロシア語は一年前から続けていて、検定3級を去年取った。

ブログタイトルにまだしがみついているよ。

 

ママ友が亡くなった。

2005年に最初の子(娘)を産んだときに知り合った人。

2008年に中野から横浜に引っ越して以来年賀状のやり取りしかしてなかったけど

彼女が二人目産んだ時には町田の本屋から絵本とベビー服を送ったのを覚えている。

司書として働いていて、お互い本が好きで、保育園に入れた時期も一緒で

何よりもとても話が合う人だったから、長年あってなくても

再開すれば話は尽きないだろうなと思ってて、今年の二月にメールで

「久しぶりに会いたいです」と連絡したら

「大病して、よくなったと思ったらまた悪くなって入院してます」という返事だった。

病名を彼女の方から聞かなかったから、お見舞いも遠慮しておこうと思って、連休あけぐらいに

また連絡してみようと思ってたところ、電話が鳴って、いそいそと電話に出たら妹さんからで、「昨日息を引き取りました」と。

猛烈に後悔したよ。娘が司書にあこがれてたから、お話聞きに行こうねと言ってて

去年の夏そんな話をしたから言っておけばよかった、とか、

二月にお見舞い行けばよかったとか。

妹さんは「亡くなった時に連絡するように言われたので」とのことだったから、

私のこと気にしててくれたのかと思うと余計に残念で。

 

もしや、と思ってたけどやはりがんだった。

告別式の時にお顔を見ることができたけど、すごく痩せていたし、

おそらく抗がん剤治療をしていたのだろう、キャップを被ったままだった。

家族の方は死が近づいていたのをわかっていただろうから、葬儀の時は

しっかりしていて、和やかに見おくる感じだったけど、私にとっては

突然の事過ぎて、今でも思い出すと涙が止まらない。

葬儀の後、彼女との思い出の場所、といってもお互いの家を行き来したり、近所の公園で散歩したりするくらいだったけど、

昔住んでいたアパートまで行ってみた。

これからの人生で彼女がいないのかと思うと、それがすごくつらい。

第一子の出産は初めてのことで、何もわからない状況で、

話の合う仲間がいたことはとても大きな財産だった。

自分の体に起こったことをお互いに共有したり、差に驚いたりというのは

ママ友ならではの感覚で、そこを一緒に過ごしたからこそ、何年合わなくても

分かり合える部分があると思っていたのにその相手が、数少ない友達のうちの一人がいなくなってしまった。それは思った以上のダメージ。

 

彼女の訃報を聞いたその日に、母の日には修学旅行のため家にいない娘が

前倒して私にプレゼントしてくれた。私の好きな曲を2つピアノで弾いて(「パリは燃えているか」と「Don't stop me now」)手紙とストラップをくれた。

 

彼女は、この日がくることを察していて、家族や友人にあてて手紙を遺していた。

ご主人がそれを読んでくれた。

本にかかわる仕事をしている人らしい、丁寧に選ばれた言葉で綴られた

素敵な手紙で、でも彼女がこんなに素敵な文章を書く人だと、

亡くならなければわからなかったことだと思うとまた、辛い。