週末シネマ

ちょっと前から週末シネマといって、週末に夫と映画を見ることにした。
ハネケの「白いリボン」、「プロメテウス」、トリアーの「メランコリア」、「僕のエリ」と見ている。
群を抜いて気にいったのが、メランコリアだった。
今までの、女性を虐待しているような作風とはまたちょっと違う感じ。
キルスティン・ダンストというキャスティングがよい。
はかなさがないのよね。肉厚で骨太。なので、鬱の演技が余計リアルだし、メランコリアと同化していく様がぴったりくる。
プロローグの映像が美しすぎ。ラファエル前派のような、濃厚で非現実的な。
惑星メランコリアがいよいよ近づくときに、
ジャスティンが甥のレオにナイフの使い方を教えて「魔法のシェルター」を作らせるところがよかった。ここのシーンもプロローグに入っている。
ナイフを使えるっていうのは生きていくための技術を身につける、ってことだと思う。本来なら父親から教わるのだけど、レオの父(ジャックバウアー=キーファーサザランド)はメランコリア衝突を恐れて自殺してしまう。俗物だし。トリアー監督って男をゲスに描くのが上手よねほんと。
「こどもに絶望を説いてはいけない、それが大人の役目」と宮崎駿は言うが、この映画のジャスティンがその役を担っていた。最後まで、子どもは守る。えらい。
恐怖を受け入れる、恐怖と共に生きる、というのは、「僕のエリ」についても言えること。
黒澤清が「キュア」を作るきっかけとしたのが、「なにか邪悪な、恐怖に遭遇してしまった後、人の人生はその記憶を消せないわけだが、いかにその邪悪なるものと共に生きていけばよいのか」というような意味のことだったと思う。(記憶があやふや)
そんなことをいろいろと思った映画であった。
メランコリア」は大画面で見たかったなあ。
ミニシアター系のはっきりしない映画を観た後、つい、人さまの意見を
ネットで検索してしまうのは、いかんなあ。
「僕のエリ」は地味でシンプルなところがよかった。
エリがものすごい美少女ではないところがまたリアル。
ひとつだけ気になったのが、エリが初老のおじさんの血を飲んだ後、
オスカーとキスをするのだが、
「おっさんの血、ついてるで」とおばちゃんは思ってしまったのだ。
そもそも、おじさん、おばはんの血でいいの?若い生娘じゃなくていいの?と思ってもしまった。


白いリボン」はいやな映画。最新作「愛・アムール」が公開中で、感動の名作らしいが、「ピアニスト」「隠された記憶」「白いリボン」と見ていると、その手にはのらんぞ、と思ってしまう。
「プロメテウス」は監督が酔っ払って撮ったような感じ。
あの「創造主」って、人間をぶん殴ってどうしようというのだろう。


毎日目が離せない専業主夫さんの日記だが、
最近は4歳のお子さんがご飯食べない、支度できない等でなやんでいた。
第一子は何事も初めてだもんなあ。
そのうちやるようになるから大丈夫ですよーと言いたいところだが、
見ず知らずの人のブログにコメントする勇気がまだない。
二人いると下の子に関してはかなり雑になってる気がする。
うちは一姫二太郎だからどうしても姫は繊細に、太郎は雑になりがち。
ムスコは食べむらがすごいのだが、
淡色野菜はキャベツ、緑黄野菜はブロッコリ、かぼちゃを食べるからよしとする、牛乳飲まなきゃチーズと小松菜、と強引に合理的に考えることにしている。一時期バナナばっかり食べてたが夫が
「バナナが主食の国がある」と言ったので、気にしなくなった。
今はバナナに執着がない。食べ物ブームも周期がある。


娘の方も自立心が徐々に出てきている。
言い訳も、聞き流しも上手くなってきた。
最近「時々Kが嫌いでたたく夢見ちゃう、あと怒ってるときのママも嫌いと思うことがある」と夫に告白したそうな。
夫は「一年前のNちゃんはこんなこと言わなかった、すばらしい成長だ」
と喜んでいた。ははは。
確かに、自分でも思うが、私って人間はそんなに好かれる方ではないし。怒ると声でかいし、長々怒るし、毒舌は加減を知らないし、ほじられたくないところほじるし。
Kも、よくNちゃんを押したりたたいたりつねったりするし。
これを「Kを嫌っちゃダメ」とか「ママを嫌うなんてとんでもない」とか押し付けると、インナーマザーが育ちすぎてインナーモンスターになってまう。