図書館通い

産前のわずかな間は穏やかだ。
歩いて10分で図書館というのはとてもありがたい。
6冊しか借りられないのが不便だけど、重くなりすぎなくていいかも。
本借り過ぎて、買い物したらほんの10分の道のりがきついし。


本の内容がバランスが悪くならないように心掛けている。
重めの本(親子夫婦関係やフェミ本)
と軽いエッセイとか料理や手芸の本や美術書なんかをちょうどよい感じで。
でも、だいたい家で熱心に読んでるのは重いのなんだが。
香山リカの「家族という病」は面白かったものの、
信田さよ子さん(カウンセラー)と「精神科医」という決定的な差があって、
信田さんはカウンセラーに中立はない、クライアント側に立たないといけん、という信念があるらしく、
私はそっちを支持する方かなあ。
同じく精神科医斎藤学氏の「インナーマザーは支配する」は信田さんスタンスに
近い感じ。ACを否定的にとらえるか、肯定的にとらえるかの差かも。
精神科医ではACというと「ああ、昔流行ったアレ、はいはい」と軽蔑する傾向もあるみたい。
どんな家で育ったかが自分の性格というか人生というかいろいろな場面で
出てくるわけだが、それを知っててなんとかしようとしないと、また
同じことを繰り返すので、読めるうちにいろんな人の本を読んで
自分の家族を「言語化する」(By夫)方がいい。らしいで(Byサバンナ高橋)。


前回の妊娠のときこわくて借りてなかった本があったので
読んでみることにした杉山春の「ネグレクト」。
杉山春さんは春原先生の対談本に出てきて、外国人の問題についても本にしてらっさるので
今まで読んでみたいけどこわくて読めなかったが勇気を出して読んでみた。
本の中で何度もくりかえして出てくる
「親からそうされなかったから自分の子供にもそうした」
「助けを求める術を知らないまま大人になったから周りに助けを求めることができなかった」。
それのくり返しくり返しくり返しの結果があれ。


虐待、とか施設に保護、みたいなすさまじいことではなく
「私は親からこう言われたから、それがあたりまえと思ってこうする」
「あまえたことないから義父母に甘えたり預けたりしづらい」
というレベルまで、根っこは同じということなのだな。
それから、虐待親について「私と違うから、これはこういう特別な人のことだから」ではなく
自分が同じ親だという部分を受け入れられるか、
女とか母とかいうところで、犯罪者と自分は同じだと思えるか、ということを
よく信田さんは言っている。
部分引用していいのなら、同じ性を持つ人間として「受け入れる」か「排除するか」。
排除したらそこで止まる。
でも同じ親として、なぜ虐待したかを考えるとこから考察が生まれる、とのこと。
「ネグレクト」もそういうために書かれたのだと思うし、
対談でも言ってたと思う。
ただ安易に友達とか夫に「わかるわー」つったら引かれるかもしれんが。