さて。

さて。
地震から一か月たって、いろいろ考えつつも
日々のあれこれに追われる。
毎日何度もおなかがすくし、おなかをすかせてる子もいるし、
おむつ替えたりクスリ塗ってあげたり、話きいたり。


一年前くらいから、小説の言葉とかが全然リアルに感じられなくて
小説の広告のキャッチコピーが寝言にしか聞こえなくなってきた。
新聞でもコラム読んでも、現場の人の声は響いてくるのに
そうでない人の言葉がいま一つ染みてこない。


黒澤清が以前「何か邪悪なものに巻き込まれてしまったらその先の人生は
その闇と一緒に過ごしていくしかない」みたいなことを言ってたような気がする。
その時はわたしもそうしかないな、とも思ったが
闇を抱えながら生きていくのはしんどいし
やっぱり光をあびながらも生きていきたいさ。
斎藤学信田さよ子や西沢哲を読むと
それでも再生はありうるし、そのために
自助グループとかグリーフワークとかが
あるのだなと思うようになった。
あの人たちの仕事もそのためにあるのだし。


今回の地震についても同じように思うので
九州に住む親兄弟が
「早くこっちに逃げてこい」といっても
行く気が全然起きないんである。


なんのこっちゃ。