料理から考えるいろいろ

最近料理を褒められる。
15年も自分以外の人を勘定に入れながら作ると
いやでも腕は上がるわな。
ただ子ども産むまでの8年くらいはいいかげん&外食
多かったし、何よりキッチンが狭かったから
料理の腕はゆるやかにしか上がらなかった。
ここ数年はほぼ毎日作ってるし、料理本クックパッドのおかげで、
向上した気がする。
それから学校給食のメニューもいいお手本だ。
「え、この組み合わせの味噌汁ってアリなん?」みたいなのが
たくさんあるんだも。
あと私が最近やっとレシピの呪縛から解かれたというのもある。
もともときっちりはかって作る派だったんだが、
さすがにわかってきたわ。
野菜をかなりとるのだがそういう話すると必ず
「オーガニックとかこだわってるの」と聞かれる。
いやあ全然。
ついでに放射能もあんまし気にしてない。
ムスメのクラスには気にしてお弁当持参の子がいるらしいが。


夫のすすめで少し内田樹を読んだ。
今までのいろいろをちょっと反省。
そうですね、ゴミが落ちてることに文句言うよりは
先にそのゴミを捨てませう。
「家事は知的で楽しい作業であり、生産的・創造的な主体を要求する
それは押し付けあうものではなく進んで負担すべきと考えることはできないのか」
とあったが、
その生産的創造的な主体のいい例が栗原はるみのような
人や、料理コンテストで賞をとるような人なのかもしれない

以前未婚の友達が郊外で暮らす主婦について
「文化的なものがなにもないような土地で専業主婦するなんて
ぞっとする」と言ってたが、
「だからみんな料理上手になって家をカフェみたいにきれいにして
ホームパーティをやるんじゃないのかな」と後で思った。
家をきれいにしたり、誰かをもてなしておいしいものを食べるのは
楽しいもんね。


あと「結婚を、妥協と考えるから二の足を踏むのであって
共生と考えた方がいい」ともあった。
手元に本がないからあやふやだけど
いつからあるか分からない家族という形態が
今まで続いているのは強者が弱者を守りながら生活していたから、
みたいなことが書いてあったと思う。
強弱関係があるのは当然だからそれぞれできることを
やればいいのであって、「平等」とかいいだすからおかしな具合に
なってしまう、と。
ただその強弱関係が支配被支配の関係になっちゃいかんと
思うのよねワタクシは。