悪霊

「悪霊」の上巻がやっと終ったが、
上巻の終盤近くに「セミョーンの聖者のところへ行く」というエピソードがあり
宮沢章夫がエッセイで
「あまりのでたらめな展開なうえに、このシーンが
後の話に全くかかわってこない」
ドストエフスキーはただ自分が書きたいがために
このエピソードを入れたのではないか」
と書いてあったところだ。
エッセイだけ読むととてもばかみたいなシーンに思えるけれども
セミョーンの聖者はやたらと人に砂糖をあげたがる)
最初から順を追って読むと、セミョーンの聖者のところだけでなくて
裏主人公のステパン氏からして破綻してるから
今読むと適材適所に思える。
「今この話ですか?」みたいな話のもっていきかたや、
全体のうねるような流れ、どう考えてもまともじゃないわ、な人々が
集まって作られる、結果、悲劇はコーエン兄弟の映画にちょっと通じるとこがある。