さらに斎藤学の「子どもの愛し方がわからない親たち」とか借りちゃって。
あと「封印された叫び」も。
斎藤環も借りたのだが、斎藤学のリアルなデータと
ストレートな衝動による著作への意思と比べたら
つまらなかった。
「封印された叫び」は昔夫が借りて途中まで読んだらしい。
虐待について後で思い出すことに関して
「あれは虐待だったと医者とかカウンセラーに言われたから
虐待だと思い込んでさらに苦しむことになるのではないか」という
「無知だったら幸せだったのにいらん知識を得たばっかりに」な
批判に応えるかたちで書かれたものらしい。
なので古い精神分析とかの話が多くて、たしかにかいつまんでしか
読めなかった。
知らなかったら幸せなのか、というとそんなことは絶対なくって
「あれはなんだったんだろう、なんで時々思い出すのかなあ
そしてなんかもやーとした気分になるのはなんでかなあ」と
思い続けなくてはいけないのはしんどい。
名前を与えられて「そうだったのか」と気づいた方がよほど幸せにつながる。
名前を与えられたときはつらいかもしらんが。

なーんてことを考えつつも
お笑いさぁ〜ん」の岡田を見て安心したり、
サッカー見たり
今回日本代表がいい感じに終わったのは
前回で言うと中田的な超ナルシストがいなかったのも大きいかも、
というのが私と夫との共通した意見。
中田の「こうありたい自分」像とその薄さと世間からの「中田像」のズレは
いつも滑稽だと思う。